こんにちは。
魂のメンター、媛厘子です。
過去の記憶をたどるのは、
しんどいことなんだと、
あらためて最近痛感。
こうして書き続けていると、
忘れていたことを
思い出したりして、
作業がとまってしまう時や
思うように先に進めない時がある。
でも、思いがけず
ふたをしていた感情に気付き、
このタイミングでも
そこからまた赦しにつながっているから、
これもまた私にとって
必要な肯定なのだろう。
着の身着のままの、
夜逃げ?
家出?
酔っては暴れる父に
命をとられないために
逃げた先だったけど、
そこからは、
死んだ方がましって
思うくらいの、
苦しい生活が待ってた・・・
やっぱり、
夜逃げなんて、
しない方が良かったの?
でも、
もしあのまま父との生活が続いてたら、
酔って帰った父に怯える恐怖感と、
実際の暴力に
苦しみ続けたろうし・・・
私4歳、妹3歳、母28歳。
そして、
『今日からあなたたちのパパよ』
と逃げた先にいた、母の恋人?
のちの養父だけど、
この時、若干19歳。
ある日突然始まった、
この仮家族みたいな4人での生活。
今思えば、19歳はただの子供だ。
私は初対面から、
「新しいパパ」という人が
何となく好きになれなかった。
母との出逢いのいきさつは
大人になってから聞いた。
彼は母が経営していたスナックの
お客さんだったという。
母が父から
お店で暴力を振るわれるところにも
何度か遭遇したらしく、
そして実際に彼にその場で
助けてもらったりもしたらしいから、
そこできっと母が不憫に
なっちゃったんだろう。
でも100歩譲って、
その若さで、
いきなり他人の2人の子供の
父親になろうと決心したことは、
素直にすごいと思う。
これはいつからか感じていたこと。
だけど、実はそうやって何年も、
大嫌いな養父を自分の中で、
必死に肯定しようとしていたのも
事実。
昭和50年前後、
日本は高度経済成長期。
戦中、戦後間もなくに比べて、
何もかもが
豊かになってきていた時代。
なのに私はこの頃、
着の身着のままの夜逃げのせいで、
おコメを食べることが
できない毎日を過ごしていた。
通っていた幼稚園は中退。
(幼稚園は中退って言うのかな?)
正確に言えば、ある朝、
いつものように幼稚園に登園して、
お昼ご飯を食べようとした瞬間に
母が私と妹を迎えに来て、
いつものように
お友達と先生に挨拶して退園して。
そのまま長い時間電車に乗って・・・
この後もう、
私達は祖父母と暮らしていた家に
戻ることはなかった。
いつの間にか始まった、
理解不能な新しい生活。
当時、どれだけお金がないかなんて
子供の私や妹には
わからなかったから、
お腹が空いて、
「お米が食べたい」と
母に何度かわがままを
言った覚えがある。
きっと、今思えば
まとまったお金がなくて、
お米を買えなかったんだろうし、
例え買えたとしても、
当時はそれを炊く術が
なかったろうと思う。
お米が食べたいと懇願する私と妹に、
母が自分のトレンチコートを
質屋に入れ、
換金した1000円を持って、
近所のおにぎり屋さんで
私と妹におにぎりを2つずつ
買ってくれた、
そんな切ない記憶もある。
その後もしばらく
貧乏のドンゾコは続いた。
結局、幼稚園は行かないままだった。
そのうち、
私が小学校にあがる年齢になり、
入学式の当日、
転校生みたいな扱いを受けた。
名前の順番で座っている皆の
1番後ろの席に座らされて、
みんなの机には
自分の名前が貼ってあるのに、
私の机にだけ名前がなかった。
これは、
役所に入学ギリギリまで
私の入学申請ができなかったから。
子供なりの
未知の世界の緊張もあったけど、
何となく教室に
自分の居場所がないような淋しさを
幼心に入学の最初から感じていた。
甘えん坊だった妹の面倒を
ずっと私がみてきたこともあって、
幼稚園なんかに行けなくても、
いつも妹と一緒だったから、
遊び相手には困らなかった。
だけど、いつの間にか、
一晩じゅうの
妹と2人だけの留守番の時や、
買い物に行かされた時など、
つまり、幼い小さな心が
不安だらけの時に、
「私がしっかりしなくちゃ」
と、子どもなりの精いっぱいの思い、
長女なりの責任感を当時から
普通の子より、
より強く持っていたことも
否めないと思う。
この頃から次第に
素直に甘えたり、
人に弱いところを見せたり、
つらい時に泣いたり、
無理なガマンはしないなど
子供らしいところが容赦なく
私の中から
なくなっていった気がする。
大人になっても、
すっぽり空いてしまっていた、
大きな心のあなのようなものの
原因の1つは、
子供らしくのびのびと
いられなくなってしまった
環境だったことは間違いない。
子供が子供らしくいられる
環境を作る責任は当然親にはある。
だけど、生きること、
食べることを最優先に
考えなければならない時、
そんなことまで考える余裕がない時、
生きるか死ぬか、
くらい逼迫したような状態、
寝ないで
働かなければならないような時は
きっと、
子供のために、
子供らしく育つ環境まで
整えてあげる余裕など
ないのだろう。
親も人間だし、
やっぱり完璧ではない。
でも、貧乏でも、
お米が買えなくても、
生活に余裕なんてなくても、
愛だけは充分
与えることはできるはず。
ただ「愛してるよ」って子供をぎゅっと
抱きしめるだけでもいい。
私がずっと欲しかったもの、
そんな母の愛だった。
それに気付いたのも、本当に最近のこと。
いまだに、淋しい時に淋しいと
素直に言えないのは、
幼いころのこんな経験のせいかな。
そんなふうに気付いたうえで
素直に認められたのも
まだそんなに昔のことじゃない。
父の酒乱が原因で、
本当に様々な影響があった。
もし、父が酒乱じゃなかったら、
経験しなくてもすんだことばかり?
今日も、
最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。
全ては在るがまま、
あなたの存在も
在るがまま。
それだけで、
オールOK!!!
今日もたくさんの愛が
あなたの上にあふれています。
明日は・・・
今日の続きの話です。
ちょっとしんどいけど、
自分のためにも進めます。