1-8 生まれた時の環境

 

 

こんにちは。

魂のメンター、媛厘子です。

 

 

 

今日は

私が生まれてから

数年のことを話します。

 

 

私が選んだ両親。

 

今では完全に

受け入れられているし、

許せているけど、

 

母を本当の意味で許せてから

実はまだ

1年半しか経っていません・・・

 

 

親子3人

 

 

昭和457月、

銀座でバーテンダーと

ホステスとして働いていた、

父と母の間に生まれた。

 

母にとっては初産だったのに、

出産予定日通りに生まれてきたという私は、

会社を休んでまで、

産院で待機していた

という父に対して、

 

この時点で少し

親孝行できたかもしれない(笑)

 

 

生まれたての私は

全身毛だらけのサルのようで

「女の子なのに・・・」と

祖母が心底心配していたと

聞いている。

 

でもそれ以外?は、

すこぶる健康な赤ん坊だった。

 

 

 

 

若い頃、

今でも現存するという

銀座の老舗のクラブで働き、

お客様として来ていた

石原裕次郎さんと

一緒によく呑んでいたという母は、

 

私を出産しても

水商売を辞めることはなかった。

 

 

私が物ごころついた頃には、

母方の祖父母と同居していたが、

 

その家の近所で、

母はスナックを経営していた。

 

 

東京都葛飾区にあった

祖父母の家での生活で

私に残っている記憶。

 

 

家に風呂がなく、

よく家族で銭湯行って、

 

そのつど、

長かった髪を、

母に丁寧に洗ってもらったこと、

 

 

湯上りに買って飲ませてくれる

ジュースが

とっても楽しみだったこと、

 

家のすぐ横を走っていた電車会社が

ストライキを起こすと、

喜んで線路で遊んだこと、

 

近所のたばこ屋さんの前に

幼稚園の送迎バスが来ていたこと、

 

母が寝坊して、

送迎バスに間に合わず

自転車で幼稚園まで

猛ダッシュで送ってくれたこと、

 

幼稚園では

お遊戯会で、

白いタイツをはいて踊ったこと、

 

お餅つきをして、

つきたてのお餅を

きな粉で食べこと、

(きな粉もち初体験♡)

 

いも掘り遠足に行って、

たくさんいもが獲れたのに、

帰りのバスの中で熱出したこと・・・

 

 

 

 

この頃は、

母はスナックでの仕事。

 

父は夜の仕事を辞め

会社員。

 

最寄りの駅まで、

父をよく迎えに行ったことも

今、思い出したけど、

 

ここまでの話だと、

外側からは

幸せな普通の家庭に

見えてただろう。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

18カ月下に妹が生まれた。

 

おぼろげな記憶だけど、

この妹がいつも

父にいじめられて、

泣いていた記憶がある。

 

父は、

2人目には男の子が欲しかったそうで、

実際に生まれてきた妹が

あまり可愛くなかったらしい・・・

 

これだけでも、

ちょっとふびんな話だけど、

 

私の父は、

恐ろしい程の酒乱だった。

 

 

父の父、

つまり祖父は、

父とは比にならないほどの

酒乱だったそうだが、

(常に日本刀を手にしながら

家でお酒を呑んでいたという・・・)

 

 

私の記憶に残っている父は、

怪物か、

狂った人間かと思うほど、

酔うと暴れる人だった。

 

 

いつも

父が酔って帰って来る曜日が

木曜日と決まっていたが、

 

その夜はなかなか眠れず、

震えながら母と一緒に

布団にくるまっていたという

苦しい記憶が残ってる。

 

 

酔った父の足音が

外から聞こえて来ると、

心臓が

口から飛び出てきそうなくらい

ドキドキして、

妹と一緒に母にしがみつく。

 

父は部屋に入ってくるなり、

私たちの掛け布団を引きはがし、

私も妹も母から引き離され、

 

父は母に対して

なぐる、蹴るを始める。

 

 

それをかばおうと、

私が母にしがみつくと、

父がそれをまた引き離し・・・

 

 

1番ひどい記憶は、

父が私の髪の毛をつかみ、

2階の階段から下へ、

そのまま投げ飛ばされたこと。

 

 

 

母はいつも、

声も出さず、抵抗も一切せず、

父にやられたい放題だった。

 

そして次の日は、

あざと傷だらけの

見るも無残な姿になり、

 

そんな事が日常で、

何度も何度もくり返されていた。

 

 

私は

直接目にしたことはなかったけれど

母が経営するスナックの営業中に

父が酔って現れては、

 

母をカウンター越しに

外に引きずり出し、

なぐる、蹴る・・・

 

そんな時はいつも

お店にいたお客さんが

止めに入ってくれたらしい。

 

 

あざと傷だらけの母・・・

 

幼少の頃に、

そんな姿の親を見るって、

その後の子供の心に

何の影響もないわけがない。

 

 

私が生まれてから

たった4歳になるまでの

短いあいだの出来事。

 

人間は5歳までの経験の記憶が

その後の人生に

大きく影響することが

様々な研究でわかっている。

 

ここまででも充分、

この経験の影響を

多分に受けるであろうことも

子供でもわかりそうだ。

 

その後複雑な

人生を歩んでいく可能性が

この時点で予測がたってしまう。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私自身が、

選んだはずの親と人生。

 

でもまだこれは、

序章に過ぎない。

 

 

 

落ち込んでいる女性

 

 

 

今日も、

最後まで読んで頂き、

ありがとうございました。

 

 

全ては在るがまま、

 

あなたの存在も

在るがまま。

 

それだけで、

オールOK!!!

 

今日もたくさんの愛が

あなたの上にあふれています。

 

 

 

明日は・・・

父の酒乱による、

更なる悲劇をお話します。

 

 

 


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